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大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)963号 判決

原告

株式会社尾島建築設計事務所

右代表者代表取締役

尾島勇作

右訴訟代理人弁護士

仁井谷徹

被告

瀬井良行

右訴訟代理人弁護士

喜治榮一郎

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金四四〇万円(主位的)又は金二〇〇万円(予備的)及びこれらに対する昭和六二年二月一三日から支払いずみまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は各種建築物の設計、工事監理等を業とする。

2  原告は昭和五九年八月一六日一級建築士である被告と雇用契約を締結した。

3(一)  原告は被告を代理人として昭和六〇年六月ころ、訴外明倫産業株式会社(以下「訴外会社」という。)との間で、大阪市天王寺区生玉前町四〇番二ないし四所在訴外会社の新築社屋(以下「本件建物」という。)の設計契約を締結し、被告が中心となって右設計をした。

(二)  原告は、昭和六〇年六月ころ被告に対し、原告を代理して訴外会社との間で本件建物建築工事について工事監理契約を工事監理費工期一箇月当たり金四〇万円の割合で締結するよう、指示(以下「本件指示」という。)した。

4  しかるに被告は、本件指示に従わず、原告のために訴外会社と工事監理契約を締結する努力をしなかったばかりか、同年一一月一五日突如として原告を退社したうえ、自ら建築士事務所を開設して、訴外会社との間で本件建物建築工事の工事監理契約を締結し、右工事監理を行った。

5  したがって、被告は、雇用契約に基づく本件指示に従う義務を怠ったのみならず、雇用契約又は信義則に基づき被告に求められる、原告退職後原告と同種の職務を行い在職中担当した取引先との取引を原告に無断でしないという競業避止義務を怠ったものである。

6(一)  原告は、訴外会社との間で前記工事監理契約を締結していれば、訴外会社から工事監理費合計金四四〇万円(一箇月当たり金四〇万円の工期昭和六〇年一〇月二八日から昭和六一年一〇月一七日までの満一一箇月分)を得ることができた。

(二)  仮に右金額が認められないとしても、建築士法二五条に基づく建築士事務所の開設者がその業務に関して請求することのできる報酬の基準(昭和五四年七月一〇日建設省告示一二〇六号、以下「本件告示」という。)に基づけば、本件工事監理費は金二〇〇万円をもって標準とされる(別紙(略)(一)参照)。

7  よって、原告は、被告に対し、雇用契約の債務不履行による損害賠償として、得べかりし工事監理費相当額である金四四〇万円、又は金二〇〇万円、及びこれらに対する訴状送達の日の翌日である昭和六二年二月一三日から支払いずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の事実は認める。

2  同3(一)の事実は認めるが、(二)の事実は否認する。

3  同4の事実のうち、被告が、原告のために訴外会社と工事監理契約を締結するよう努力しなかったこと、昭和六〇年一一月一五日原告を退社して建築士事務所を設立し、訴外会社との間で工事監理契約を締結してこれを行ったことは認めるが、その余は否認する。

4  同5、6の事実は否認する。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1、2及び4のうち、被告が、原告のために訴外会社と監理契約締結の努力をしなかったこと、昭和六〇年一一月一五日原告を退社して建築事務所を設立し、訴外会社との間で監理契約を締結して本件建物建築工事の工事監理を行ったことは、当事者間に争いがない。

二  そして、右事実に、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められる。

1  原告は昭和六〇年六月当時被告を含む一五、六人の一級建築士を擁していた。

被告は、他の会社を定年退職し、同五九年八月原告に再就職していた。

訴外会社の専務取締役苫野敬史(以下「苫野」という。)は、同社の代表権を有し、経営を主宰していたが、被告と一〇年以上公私の関わりが深く、被告を信頼していた。

2  苫野は同六〇年六月一二日ころ本件建物を金一億五〇〇〇万円程度の予算で建築することを計画し、設計料を三〇〇万円と見積って、被告に対し右設計を依頼した。被告は、苫野の依頼を原告代表者尾島勇作(以下「尾島」という。)に伝えたところ、尾島は、右設計料は安いが、工事監理契約をも締結し、監理費を得れば採算は取れると考え、被告に対し苫野の依頼に応じることを指示し、被告は同月一七日ころ、原告を代理して訴外会社との間で右設計契約を締結した。原告は、被告の外に一級建築士四名程度を従事させて、同年九月ころ右設計図を完成させた(その途上、原告は苫野から訴外会社の京都営業所の設計依頼をも受け、設計料一〇〇万円で引受け、これを完成した)。

3  かくて、苫野は、本件建物及び前記京都営業所店舗等の建築を行うことになったが、建築業者に知合いがないため、その選定を被告に依頼し、入札によってこれを決めることにした。第一回の入札は同年一〇月三日行われたが、最低入札価格も苫野の見積額を遙かに越え、落札に至らなかった。そこで、苫野は同年一一月八日、本件建物の建築工事についてのみ第二回の入札を行うことにし、かつ、工事費を安くするため設備、意匠工事等につき設計の手直しを加えた。その結果、株式会社鍛冶田工務店が金一億四四一六円で落札し、訴外会社は同月一九日同工務店と、請負代金一億六九〇〇万円とする本件建築工事、同付帯設備工事の請負契約を締結した。

また、苫野は被告に対し本件建物の建築に必要な関係官庁に対する諸手続を行うことを委任し、被告は、同年九月四日付で訴外会社名の、大阪市建築主事に対する工事監理者を尾島建築設計事務所・瀬井良行とする届出書を作成し、同年一〇月二四日工事監理者を尾島建築設計事務所・瀬井良行として本件建物の建築確認を得たが、苫野はいまだ右工事監理については思い至らず、原告或いは被告に対し、工事監理を委任する旨表示したことはなかった。しかし、苫野は、第二回入札の結果、前記鍛冶田工務店の落札価格は金一億四四一六円であったが、最高入札価格は金二億円を越えていたことから、手抜工事をされることを恐れ、被告に右工事監理を依頼することにした。

4  他方、原告は、前記のとおり、本件建物の設計を引受けた当初から、本件建物建築の工事監理をすることを希望しており、被告に対し右工事監理契約を訴外会社との間で締結することを指示(本件指示)し、工事監理費は、本件建物の設計料が前記のとおり低額であったこと、本件建物の建築工事費は金一億五〇〇〇万円程度、(但し、訴外会社の希望額)であり、本件告示第四によれば、右工事監理費は技術料等経費を除いても少なくとも金三二〇万円が標準とされていること(別紙(二)参照)、本件建物の建築工期は同年一〇月から同六一年七月までの一〇箇月程度と予想されること等から、工期一箇月当たり金四〇万円の割合とすることを希望し、被告に対し、その旨を指示した。しかしながら、被告は、とりあえずは、本件建物の設計の完成、その後は、本件建物の建築業者選定のための入札手続に追われ、訴外会社に対し原告との間で工事監理契約を締結することまでの説明はできず、また、仮に説明をしても、訴外会社の総予算額から、原告の希望する金額では工事監理契約を締結できないであろうと考えていたため、本件指示に反し、訴外会社に対し原告との工事監理契約締結を求めなかった。

5  ところで被告は、原告に入社後、特に原告代表者の本件建物の設計の際の人員の割り当て方に不満を感じ、昭和六〇年九月ころから退職を決意するようになったが、入社の際、支度金の支給を受けたため同月末までは退職しない旨の合意が原告との間に成立していたことから、退職を思いとどまっていたが、同年一一月一五日付けで原告を退職し、「瀬井建築事務所」を開設することとなった(同月一九日登録)。被告は、一級建築士としての自己の力量に自信をもっており、特段本件建物の工事監理費で生計を立てようとする意思は全くなかった。

そのようなとき、被告は苫野から本件建物の工事監理を頼まれたが、被告は、訴外会社に本件告示に基づくような工事監理費を支払う意思も能力もないことを熟知していた上、「瀬井建築事務所」の業務である尼崎市所在の建築工事の設計、監理等に追われることから、一度は苫野の依頼を断った。しかし、苫野は、建築業者選定経緯から、信頼できる知人である被告を強く頼りにしているので、被告もついにはこれに応じたものの、工事監理の内容は、被告の他の業務に支障を生じない範囲で、関係官庁に対する書類の届け出等を中心に、土曜日の午後などに機会をみては工事現場を見たり相談にのる程度にとどめることにし、苫野もこれを了承し、訴外会社から工事監理費として若干額を支払うことを約した。

そこで、被告は、同年一一月一九日訴外会社と前記鍛冶田工務店間の本件建物建築工事請負契約の締結に立会うし、右契約書に監理者として「瀬井建築事務所」たる被告を表示し、同年一二月一一日本件建物の建築確認申請の工事監理者を原告事務所所属の被告から自営者たる被告に変更する手続をし、同六一年七月二二日同申請の建築主の代理者も同様に変更する手続をし、被告は同六〇年一一月二五日ころから同六一年九月四日(検査済証発行日)までの本件建物の建築工事期間中、訴外会社との前記の合意に基づく工事監理をなし、これに対し訴外会社は工事監理費として総額金一〇〇万円程度を被告に支払った。

6  なお被告は、原告を退職するに当たり、本件建物の設計図の原図等を原告に無断で持ち去った。

以上の事実が認められ、右認定に反する証人苫野敬史、被告本人の各供述部分は、前掲各証拠と対比して信用することができず、他にこれを左右するに足る証拠はない。

三  そこで判断するに、右事実によれば、被告が、原告の本件指示に反して訴外会社に対し本件建物の建築についての工事監理契約を原告との間で締結する申込みをしなかったことは明らかである。しかしながら、原告が、被告の債務不履行に基づくものとして主張する損害はいずれも、被告が原告の指示に従って訴外会社に対し本件建物の建築についての工事監理契約を原告との間で締結する申込みをすれば、または被告が原告を退職した直後自ら訴外会社との間に右の工事監理契約を締結せず、工事監理をしなかったならば、原告と訴外会社との間において、工事監理契約が成立しえたとの前提に立っているものである。

確かに原告としては本件建物の設計料が低額に抑えられており(〈証拠略〉によれば、本件告示に基づく設計に係る標準業務経費は金七三八万八八〇〇円であることが認められる(別紙(三)参照))、工事監理費に期待するところが大きかったであろう。しかし、本件告示によれば、本件建物の建築に伴う工事監理等に係る標準業務経費は金三五〇万四〇〇〇円であるとされており(別紙(四)参照)、もともと苫野と面識のない原告において工事監理をする以上は、現実に被告のした程度の工事監理をするにとどまっては、万が一建築に瑕疵が生じたときには訴外会社から工事監理者としての責任を追及される危険があり(被告が個人的に本件のように工事監理をする場合であれば、苫野との従前からの人的な信頼関係に基づき責任の追求を免れる可能性が高い)、したがって通常の工事監理者としての工事監理業務をしておかねばならず、そのための人的な手配も必要となるから、原告の要求する工事監理費は右標準額を下ることは到底期待しえないところである。

他方、訴外会社は、前記入札の経緯からも明らかなように、本件建物の建築工事代金を金一億五〇〇〇万円程度にすることに汲々とし、ようやくにして鍛冶田工務店との間で金一億六九〇〇万円で工事を発注することができたという、予算上逼迫した状態にあったもので、そのような時点で工事監理費として原告の希望する金員を支出する合意はできず(被告に対し工事監理費は約一〇〇万円支払うに止まったこと前認定のとおりである)、したがって仮に、被告または被告退職後にあっては他の原告従業員が本件指示に従って訴外会社に対し工事監理契約締結の申入れをしたとしても、原告は訴外会社との間で工事監理契約を締結することはできなかったものと推認するのが相当である。

そうであるとするならば、原告と訴外会社との間において工事監理契約が締結されたことを前提とする原告主張に係る損害はいずれも被告の行為との間に因果関係を欠くもので、原告の請求はその余につき判断するまでもなく失当であるといわねばならない。

四  よって、原告の本訴請求はいずれも理由がないのでこれを棄却することとし、民訴法八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 蒲原範明 裁判官 北澤章功 裁判官 鹿島久義)

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